この2つを続き物として書きました。
要は「弾けた」とする基準を下げるんだー、という話なんですが、まぁ、怖いわけですよ。
人の目がすごく気になって怖いわけです。
人の目が気になる、つまり・・・
自分の価値は人によって左右される
という前提がそこにはあります。
だから、前提を設定し直す必要があるんだけど、そこでもがく必要はありません。
つまり、人の目を気にしていていいんです。
何故か?
僕が勝手に生徒さんのいい所見つけて喜ぶから。
音楽の基準がだいぶ低い僕だからこそ出来ることなんです。
実際、そんな僕が生徒さんそっちのけで喜んでると生徒さんは
先生がやけに喜んでるぞ?
↓
弾けてない氣がするけど喜ばれるのはゴマすりか?
↓
でも、毎回喜んでるぞ?
↓
あれ、もしかして、先生の目から見たら俺、弾けてるの?
↓
そういえばいつも何処が良いのか理由も言ってくれてるなぁ
↓
もしかして、俺弾けてるん?
↓
確かに変じゃないなぁ、お手本の演奏と比べるとちゃちい感じはするけど、その曲には聞こえるなぁ。
↓
あれ?お手本と比べるからか?
↓
比べなかったらどうなる?
↓
あ、俺弾けてる
↓
なぁぁぁぁぁんやぁぁぁぁ、弾けとるやないか、俺
↓
ひゃっほい
とこうなるわけです。
個人差あるけど、あらかた大体、この流れです。
こうなると勝手に前提が変わってます。
この自分は「弾けてたんだ」ということに気づける(=前提が変わる)と知らない間に技術は必要なだけ身につき始めます。
因みに、僕は生徒さんの前提を変えようとかそんなことは思いません。
僕が変えようとすると変わらないので
僕は勝手に喜んでるだけ。
でも、これで生徒さんの前提は変わります。
前提が変わるプロセスを知ってても変わります。
前提が変われば結果は勝手に変わります。
ギリギリいいながら努力に努力を重ねて頑張りまくって出す結果もいいけど
なんやしらんけど変わってた、楽しい-♪という感じで出る結果も良いのです。
後者の体験をしたい。
もし、あなたがそうおもうなら、僕のところにおいで~♪
待ってるよぉ~♪