僕の仕事は生徒さんにギター教えることです。
音楽教えることです。

で。

この教えるというワードが実はすごく幅のある言葉だと思うんです。

 

普通、教えるという行為にはパワーバランスがあります。

つまり、教える側は上、教わる側は下、みたいな感じがあるわけです。

 

でも、僕はこれを採用していません。

確かに生徒さんがしらないことで必要なことならお教えしますが、基本は教えなくてもいいと思うからです。

 

だから、教えよう、教えよう、としていた時は生徒さんの成長が鈍い。

でも、教えようとするのをやめると途端に生徒さん自身が自分の成長を実感するような体験をしたり、そういう感じ方をします。

 

これも、普段から言っている前提という側面から見ると一目瞭然でした。

教えようとする=生徒は教えてあげないとダメという前提

教えてあげないとダメな存在だと言っているようなものだから、自分が見張ってないといけなくなる。

 

でも、本当は生徒さんってかなりの力を秘めています。

だから、無理に教えようとはしない。

そうすると前提が変わります。

 

教えようとしない=生徒は力を秘めている前提

だから、生徒はにょきにょき色々開くわけです。

 

だから、僕にとっての「教える」というのは基本的に側にいる、というだけのことなのです。

そうしているほうが、相手の可能性が開くのです。

 

だから、自分をあまり安く見積もってはいけません。

 

あなたは実は能ある鷹なのです。

ただ、爪を隠しすぎて爪がないと勘違いしているだけなのです。

もうぼちぼち爪出しましょう。

 

もし、爪があることを忘れてしまっているなら僕のところに来てください。

一緒に見つけて差し上げますわよ。

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