ここの最後で書いた問題

バレーコードはもはや挫折する場所じゃない

 

身体の使い方をちゃんと教えると弾いたことないものも弾ける。

 

ここには一つ問題も存在することがわかってしまいました。

 

 

それが・・・

うまくいった内容を正確に処理できない

という問題

 

 

これ、大問題です。

バレーコードは弾けなくて挫折する人も多いプレイなんだけど、それを知らずに難なく乗り越えているから、自分が成し遂げたことの意味がわからないんですよね。

先の生徒さんなんかは「自分が乗り越えてる」ということにすら気づいていない様子でした。

 

 

「なるほどなぁ、こういう部分で問題があるなぁ」

と勉強させてもらったわけです。

 

 

と同時に。

 

 

やっぱり、身体の使い方だけでは不足だと改めて実感したのです。

 

身体の使い方、練習法、努力の仕方、工夫。

こういうのはわかりやすいです。

そして、絶対にちゃんとしたものが必要。

 

 

でも、人間は機械ではありません。

心を持っています。

 

これがいい意味でも悪い意味でも厄介です。

 

 

先のバレーコードを難なく乗り越えた生徒さんは「自分が乗り越えている」ということに気づけませんでした。

そこに気づけないのだから、当然、「自分のやっていることはすごいことだ」とも思えていない。

 

これは、問題の所在を追いかけるとトドのつまり、

自分は出来ないやつ
ダメなやつ
センスがない
苦しい思いをしないと物事は成就しない

という「思い込み」に行き着くのです。

 

つまり、心の問題。

 

 

現に、

自分は出来ないやつ
ダメなやつ
センスがない
苦しい思いをしないと物事は成就しない

こんな風に思わない人は何かが出来たときにもっと喜びます。

 

親子で教室に来てくれている生徒さんで最近ギター始めたお母さんなんかは息子くんに「不協和音鳴らしとるなぁ」と言われても

じゃかぁましわぃ

といえる。

 

これは心が安定しているわけです。

こういう方は僕が「おぉ~、〇〇が素晴らしい」というと、遠慮なく受け取ってくれます。

こういう方はまぁ、間違いなく普通にやってて伸びる方です。

 

 

だから、やっぱり

心の問題は合わせて見ておかないとうまく生徒さんを導けないなぁ、

と改めて思ったレッスンでした。

いい勉強になりました。

 

 

追記

誤解のないようにお伝えしておきたいのは

自分は出来ないやつ
ダメなやつ
センスがない
苦しい思いをしないと物事は成就しない

という「思い込み」を持ってても何の問題もない、ということです。

 

素直に言われたことを受け取れる人だけがよくて「思い込み」を持っている人がダメとかそういうことじゃないんです。

 

あまり楽しくない思い込みを持ってたとしてもそれはそれで

やりようがあります。

そういうのも個別に対応できるからやっぱり僕はレッスンしてるのが好きなんだなぁ、と改めて思う次第です。