「あの・・・それ、すごいんだけど」

 

という心の声。

 

これ、レッスンしているときに鳴り響くことが多いです。

 

だから、言葉にします。

 

 

でも、生徒さんからは

「まぁぁたまた、うまいこと言って」

「先生は調子に乗らすのがうまいから」

「みんなに言ってるんでしょ?」

という心の声が聞こえます。

 

そして、同時にこれを直接言われることも多々。

 

 

あのなぁ・・・・

 

ちがうわぁぁぁーーーーーーーーーーーぃ。

お前と一緒にすなぁぁぁぁぁ。

 

 

多くの人は、

商売=おべんちゃら

と思っているようです笑

 

 

でも、恥ずかしながら。

開業したての頃はやってました、スンマソン。

 

 

でも、すぐに

コレはいかん!

と気づきました。

 

 

なぜなら、僕の心がしんどくなるから。

そして、同時に、ここでおべんちゃらを使うとびっくりするくらいバレル。

更に、生徒さんの可能性は広がりません。

ギターもうまくなりません。

音楽も楽しくなりません。

 

 

びっくりするほど非建設笑

 

 

だから、「すごい」「すげぇ」「これは珍しい」と思わなければ、

褒めません。

 

 

で。

こういうスタイルでやっているにもかかわらず、

毎レッスン、生徒の何処かを褒めてます笑

 

 

面白いでしょ。

本当に良いと思わなければ褒めないスタイルになってからのほうが褒めポイントが山程見える、という。

 

 

これはホント今までの生徒さんのお蔭でして。

沢山の生徒さんを見れば見るほど、僕の中にデータが蓄積されます。

これを世間では経験値と呼ぶのです。

 

 

そのデータ量が膨大になると

本人からしたら

とても自然で
当たり前で
しょーもないことは

僕からみると宝に見えるのです。

 

 

だから、宝な人たちと僕は毎日レッスンして、

毎日宝な人たちの輝きを一緒に喜んでたら

勝手に宝達がグレードアップしていく。

 

 

うん、いい仕事だー(^^)

 

 

でね。

この前提で一つ面白いことをお伝えします。

 

 

それは、

自分(宝)の輝きに気づいている人ほど全く無理なく湧き上がり、広がっていく
気づいて無くても時間の問題。

ということです。

 

わかりにくい言い方だけど多分この言い方が正確だと思うのです。

 

そもそも宝だから、これ以上善くなる、ということではなく、

善さが広がる
善さが湧き出てくる

ということです。

 

本人は

弾けなかったものが弾けるようになった、とか
作れなかったものが作れるようになった、とか
出来なかったことが出来るようになった、とか

思ってるんだけど、僕からすると

そうなる要素既に持ってたがな

という感覚なのです。

 

 

善くなる要素を既に持っているなら、既に善いんじゃないか。

それに気づいてるか否かがあるだけ。

気づいている人は変化が速く、そうでなければ遅いだけ。

 

 

だから、自分のことを

出来ないと思っててもいいし
出来るやつだと思ってても良い。

ダメなやつだと思っててもいいし
素晴らしいと思ってても良い。

大事にされないと思っててもいいし
めっちゃ大事にされると思ってても良い。

 

いずれにしても、あなたには何の問題もない。

 

レッスンやっていると毎日そう思わせてもらえる。

うん、いい仕事だなぁ。