昨日、体験レッスンをしました。
10歳の生徒さんだったのですが、ギターも初めてなら楽器も初めて。
いつも思うのですが、初めての人が相手というのは年齢に問わず責任を感じるものです。
ギターが弾ける事以上に大事なことを提供することになるからです。
実は、ギター弾けるようになることに本当の価値は無いのです。
「え?無いの?」
と思うでしょう?
そう、無いんです。
昨日の生徒さんのお母さんもこの話をしたらびっくりしてました。
でも、話し終わったらめっちゃ納得してくれたようです。
さて。
ギター弾けるようになることに価値がない。
どういうことか分かりますか?
ちょっと考えてみてくださいね。
考えました?
じゃあ、答えをば。
ギター弾けるのは誰にでも出来るから。
そして、もっと大事なことがあるからです。
まず、弾けるなんて普通のことなんです。
いつも言ってるように身体の使い方なのだから。
そんなことよりもっと大事なことがあります。
それは・・・・
弾けるようになるまでのプロセス。
これのためにギターをやると言っても過言ではありません。
僕はこの「プロセスの力」を若いときに運良く体験できたのです。
それが、数学の師匠と過ごした1年間でした。
数学の師の話はコチラ
↓
師との1年間に僕に起こったことがこのプロセスの力です。
それまでの先生は僕に
- 数学は基礎が重要
- 基礎は一朝一夕にできない
- 時間がかかる
- だから、コツコツやらないと
- 急に伸びるとか期待するな
- 公式おぼえて問題解く練習しろ
- 一夜漬けでもいいからテスト前は気合い入れろ
こんな風に接してくれてたわけです。
だから、僕はこういうイメージで数学を見てました。
これで数学好きになれ、というのがメチャクチャでしょう。
だから、勉強できるやつの気が知れなかったし、
親が言う「勉強やり直したい」というセリフも意味不明でした。
でも、数学の師はこれとは反対でした。
- 数学は丸暗記ではなく理解
- 公式は忘れても大丈夫(その場で作れ)
- 春休みに教科書の内容を理解しといたら高校生活遊んで暮らせるし、それでこそ高校生(せっかくの高校生を楽しめ)
- 試験は1週間前に春休みに理解した内容を軽く見て、ちょっと問題といたら思い出すからそれで良い。
- 成績なんてのは、凡ミスをなくしさえしたら何点でも上等
全く反対の接し方をしてくれたのです。
おかげさまで、一番最初の2時間の授業が僕の数学に対するイメージを一気に塗り替えてくれました。
この授業がきっかけで僕は数学大好き人間になります。
知的好奇心というのが自分にもあることも確認できたのです。
成績なんかは1ヶ月後に上から数えたほうが早い感じになったし、半年後には成績いいのはあたりまえ、という感覚を持ったのです。
ここで大事なのは成績がよくなったことではなく、
その学習プロセスにあるのです。
不器用で運動神経が悪い僕がギターになると成長が速かったのもこのプロセスの力のおかげなのです。
ギターを教えるようになって、過去の数学嫌いだった僕が採用していたようなアプローチをして、しんどい思いしている人が多いことを僕はしりました。
だから、数学の師がやってくれたことをギターというフィールドで僕はやりたいし、やっているつもりです。
そして、それが師に対する恩返しになると思っています。
結果、ギターの習得プロセスがいい感じになった人ほど、仕事、人間関係、といった人間の生活に活かし始めます。
楽しく、面白く、好奇心をもってギターを習得できた人は音楽とはそういうものだと思えるようになります。
音楽とは楽しく、面白く、好奇心を満たしてくれるものだという価値観が形成されます。
こういう人は誰かと音楽をやったときに出来が悪い、とか力量が及ばない人に対して寛容です。
逆に苦しいプロセスを我慢して楽器を習得した人は出来が悪い人や力量が及ばない人に対して厳しくなります。
そして、自分よりも力量が上の人に接したときに凹むのです。
苦しいプロセスを取るとそうなって当然です。
つまり、プロセスというのはその人の価値観を作るのです。
あなたのプロセスは大丈夫でしょうか?