先日、うちの生徒さんがこんなことを口走りました。

 

「どうしても比べてしまって自分がダメだと思っちゃう」

 

僕は常々「比較することはあまり意味がない」と言っているからこそ、この方は「比較した結果自分をダメだと思ってしまう」というのと「教えが守れてない」という2重苦に陥っていたみたいです。

 

これ、誤解というか、誤解釈なんですよね。

 

まず、比較は「得する比較」と「損する比較」というのがあると思うとわかりやすいです。

で、大体の人は「損する比較」をしてしまう。
(あ、損する比較をしていたとしてもそれがダメってことじゃないから、あしからず)

この方もそうです。

 

この方の場合は

比較した結果も良くなければ、

比較という行為も良くない

と「この方が」思っているわけです。

 

 

だから、まずわかっておかないといけないのは

比較してもいい

ということなのです。

 

比較するのを推奨しないのは損する比較をするからであって、得する比較をするならそれは得するんだから良いわけです。
※厳密には損する比較はして良いんだけど話ややこしくなるので。

 

つまり、比較という行為自体は良い。

 

それに比較しちゃうってことは

向上心がすごくある

ということです。

だから、それをまずは自分で認めて評価することなのです。

 

 

 

で。

その上で、この方は「損する比較」をしてしまってるわけですが損する比較というのは・・・

上下という価値観で比較をするものです。

 

こういうのはどうしても

上が良くて下がダメ

と思ってしまうからです。

 

だから、特徴で比較する。

 

 

例えば、僕はカッティングが武器のギタリストです。

だから、メタルのジャンルでギター弾くとポンコツになりやすいけど、
ファンクとかだったらヤリ手ということになります。

 

逆にメタル速弾き大好きなギタリストなら

ファンクではポンコツになりやすいけど、
メタルだったらヤリ手ということになりやすい。

 

これ、どっちがよくてどっちが悪いわけではありませんよね。

特徴の違い。

 

男か女か
40代か20代か
社交的か内向的か
優しいか厳しいか

みたいなもの。

 

どっちであろうが構わないわけです。

これが特徴。

 

こうやって特徴を比較したときに、自分の音を

もっとキレがある感じにしたい

としたら、「したい」のだからキレを増すために行う努力は本人にとって「頑張った感」はないわけです。

つまり、努力してないわけ。

 

こうやって特徴を比較したときに、自分のプレイスピードを

もっと速くしたい

としたら、「したい」のだから速さを上げるために行う努力は本人にとって「頑張った感」はないわけです。

つまり、努力してないわけ。

 

こういう感じのチューニングをすると、もっと素直に、楽しく練習が出来るのです。

そして、こういう壁の乗り越え方をすると、他のことでも楽な壁の乗り越え方を自然と実践します。

 

つまり・・・

人生楽しくなるわけです。

 

ギターじゃなくてもいいけど、どんなことでも、楽しくクリアしていく経験って大事。