音楽というと
- 単なる趣味
- 楽しみの為
- 人間関係を作るツール
というライトなイメージを持っている人は多いです。
でも、真相は違うと思います。
ちなみに、この話は信じられなくても構いません。
音楽をやり続けた人はわかる話です。
音楽はやればやるほど精神修養的な要素が際立ってきます。
子供の頃、落ち着きが無かった僕に親はこう言いました。
「剣道でもやって精神修養したほうがいいんちゃうか」
と。
当時の僕は「剣道と精神になんの関係が?」と思っていました。
今から振り返るとおそらく、
厳しい稽古に耐えることで我慢強く、辛抱強くなる=精神修養という感じで言っていたのかもしれません。
つまり、武道は心を鍛える道具になる、というイメージがあったのでしょう。
僕は武道をやった経験はないのでわかりません。
でも、音楽は心を鍛えるという意味では同様なのです。
音楽は武道のように辛い稽古が必要ではありません。
むしろ、その逆。
楽しいことをやっているけど心が鍛えられるのです。
どういうことかというと・・・
音楽をずっとやっていくと人は色んな経験をします。
一番わかり易いのはお披露目でしょう。
演奏会、発表会、ライブ、コンサート。
そういうお披露目の機会を持つ可能性が高いです。
これは歓迎するべきイベントなのですが、実際に経験するとなると心は騒がしくなります。
なぜなら、誰もが、ちゃんとした演奏をしないといけないと感じるようになるからです。
この「ちゃんとした演奏をしたい」というのが、「聞いてくれる人にいい演奏を届けたい」という思いから「のみ」来る思いの場合は良いのです。
でも、ここに「いい演奏が出来ないと恥をかく」という気持ちが混じると心はざわつくのです。
人は誰しも恥をかくのは嫌なものです。
かっこ悪い思いをするのは嫌なものです。
否定されたり批判されたりするのを恐れるのが普通です。
でも、音楽というのは本来、いい演奏悪い演奏、いい音楽悪い音楽という境目がありません。
言い換えれば何でもありなのです。
つまり、どんな演奏をしようがどんな音楽をやろうが正解なのです。
ところがそうはなかなか思えないものです。
なぜなら、単純に好みの問題が出てくるからです。
あなたの演奏を聞いて好ましく感じてくれる人と違和感を感じる人、何も感じない人と言った感じで、人は色んな反応をするものなのです。
でも、演奏している側の心が弱いとこの相手の反応にショックを受けたり、心を傷つけたりしてしまうのです。
そして、家で一人で演奏していたときが気楽で良かったと思います。
だから、一人で演奏しているとまた誰かに見てもらいたくなる。
そして、また一人がいいと感じだします。
これは一例ですが、このように音楽というのは単純に弾けて「はい、終わり」とはなかなかならないものなのです。
そして、色んなことを音楽で経験することに本当の価値があるのです。
なぜなら、この経験の過程で心を鍛えることになるからです。
僕たち人間は何をやるにしても心で考えたことを行動に移す生き物です。
だったら心を鍛えることが出来るものは実はすごく価値があることになります。
そして、音楽や楽器演奏というのは心を鍛えることが出来るすごいツールなのです。
だからこそ、洋の東西を問わず、人は音楽という文化、楽器演奏という文化をつなげてきたのだと思うのです。
信じられるかどうかはわかりませんが、こういう側面があることを是非お見知り置きください。
最後までご覧いただきありがとうございます。