朝から下の娘の幼稚園の送迎をしてる時のこと。

 

僕の車の隣に車が一台停まりました。

なにげなーく、そっちを見ると、

こんな顔したおっさんが何やらこっちを指さしてなんか言ってました。

 

多分、「おぃっ、こらっ、窓開けーや!お前や!お前!」といっていると判断。

「なんや?なんで怒ってる風?」

と思いめんどくさいこと(戦闘)になること覚悟で窓を開けました。

 

すると・・・

僕がどうやら道路標識を無視して車を走らせたらしく、ぶつかりそうなった、というクレームでした。

 

「お前、あんな運転したら事故すんぞ!」

と言われて、つい

「そうやったんや、ありがとう!」

って言っちゃった。

 

別にそう言おうと思ってたわけじゃないんやけど、わざわざ追いかけてきてそれ伝えに来たんか、と思ったらめっちゃええやつに見えたんですよね。

ちょっと相手は戸惑ってたけど、もじもじしながら「気ぃつけや。」といってくれました。

 

で。

ふと思ったんです。

あ、昔の俺は多分こんな素直じゃなかったなぁ、と。

 

約20年前の僕なら、

「そんなこと知るか!お前、何いちゃもんつけとんじゃ、やんのかオラァ」

といってめんどくさいことになっていたことでしょう。

 

10年前くらいならひとまず黙ってるけど内心怒りに焼き尽くされてしまっていたことでしょう。

 

そう思うと成長したなぁ。

普通に「ありがとう」と思っちゃったもんなぁ。

 

人はみんなメガネをかけています。

わかりやすく分類するなら「肯定メガネ」と「否定メガネ」。
僕の好きな武田双雲さんは「天国メガネ」「地獄メガネ」って言ってました。

まぁ、なんせ人は「価値観」というメガネをかけています。

 

で。

当然、肯定メガネをかけている方がいいわけで。

 

ただ、僕たちは普段の生活から否定メガネをかけちゃうんですよね。

だって怖いから。
傷つけられるの怖いから。
否定されるの怖いから。
間違っていると言われるの怖いから。

恐怖心から否定メガネをかけて嫌な出来事から無意識に逃げようとするんです。

 

これは生き物として自然なことなんだよね。

でも、僕たちはもう、原始人じゃない。

安全な世界に生きているわけなんです。
明日、食べ物に困らない人がほとんどだろうし、
雨風しのげる家に住んでいるし、
わりと好きなコト出来る環境にあるんですよ。

 

こういう安全な世界で、本能として自分を守ることは裏目に出やすくなっているわけなんです。

だから、大体の「不安」「恐怖」というのは幻です。

 

だから、何してもいいんです。

楽しいと思えることやっていいんです。

やりたいようにやりたいことを好き勝手にやりましょう。

 

そうすると自然と肯定メガネをかけることになると思います。

そして、こうやっているとギターなんかも勝手に良くなるし、音楽だって楽しくなりますよ。

 

 

と。

朝のスタバで思ったことでした。